今回は、「感即ち動」について、
①私が感動したドラマ
②感動(感即動)とは?
③私にとって感動の意味するところ
ということで考察したことをお話していきたいと思います。
①やろうよ!シンクロ!
②感動→感即(すなわ)ち動
③私にとって感動の意味するところ
①シンクロやろうよ!
Netflixで『ウォーターボーイズ』のドラマを観ました。
『ウォーターボーイズ』は、男子高校生によるシンクロナイズドスイミングの活動を通して、友情、恋愛、成長を描いた青春ドラマです。
ドラマを観て、感動して涙がでました。シンクロやろうよ!って言っちゃうくらい感動しました。いや、やらないんですけどね。笑
シンクロをやるかやらないかはさておき、私はなぜ感動するのでしょう。なにに感動したのでしょう。その感動が意味するところはなんなのでしょうか?
まず、私にとって感動は狙ってなるものではありません。私の意思とは関係なくはたらくもの、そなわっているもの、【心】だと思います。
それでは、私の【心】は『ウォーターボーイズ』のなにに感動したのか。逆境にめげず、あきらめないところ。音楽と演技が合わさった芸術的なもの。多くの人がまとまって一人では成し得なかったことができたこと。部活、学校、仲間、先生、家族、好きな人との間で生じる、友情、恋愛、障害、葛藤、挑戦、成長、など。まだまだ他にも理由は挙げられますが、私にとって感動するものであったというのは自分を知る上でとても大切なことだと思いました。
そして、それがなぜ大切なことだと思ったのか。私の感動が意味するところはなんなのか?もちろん『ウォーターボーイズ』を観て感動する人は私以外にもいると思います。しかし、なにに感動したかは人それぞれだと思います。そもそも『ウォーターボーイズ』に感動しない人もいるでしょう。だからこそ、「私が感動した。」というのは私にとってなにかしら意味することがあるのだと考えました。
②感動→感即(すなわ)ち動
それでなんですが、何が言いたいかというと、『感動する』、つまり自分の心で感じることで、自分も【何か】したい!と動き出すことに繋がる。ということです。
この【何か】に、自分が感動した内容を当てはめてみます。私の場合は【誰かが感動できるようなことを】したい。です。ここでは具体的に何をするかは述べませんが、自分が何に感動したかをひとつひとつ知っていくことで、『誰かが感動できることをする』を目的としてひとつひとつしていくことができると思います。
さて、ここで『感即ち動』についてですが、僕は感動することで何かを始めようと思えたので、『感じて動く』という意味でここまでお話をしてきました。でも、じつは『感じて動かない』でもいいし、『感じず動く』でもいいし、『感じず動かない』でもかまいません。『動即ち感』でもありますね。
感じることについては、人間の意思とは関係なくはたらくもの、そなわっているもの、【心】だと述べましたが、動くことに関しては意思決定できますよね。『感じて動かない』も『感じず動かない』も意思決定をしているという捉え方で言えば、”動かないというふうに動くことを自らの意思で決めている”ということです。(※捉え方で言うと、感じないということを感じたという捉え方もできます。)
③私にとって感動の意味するところ
以上のことをふまえて私にとって感動の意味するところですが、私は今回、感じて動こうと意思決定しました。そのように意思決定した理由は、私が涙を流すほど感動させてもらえたことを、今度は自分がしていこうと思ったからです。もっと言うと、私たちは別の誰かにとって感動するものを生みだせるのだから動こう!という想いがあるということですね。そう働きかけられるように自分が動いていくことが、私にとっての感動の意味するところだと思いました。
私の思惑であり、ささやかな願いですが、そのために、そう思えたからこそ、配信と発信と更新をしているのでしょうね。
私の記事やYouTubeをみて、何かしたいと思えた方!何かしたいけど何をすればいいんだろう?と思った方!ぜひ一度『哲学するヨル。』でお話しましょう!
おあり